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この記事は、
・差別やハラスメントを指摘されて、どうすればいいのかわからない人
・自分の発言や行動が誰かを傷つけてしまったかもしれないと思っている人
・差別に加担してしまったときの対応を知っておきたい人
に向けて書いています。
責めるための記事ではありません。
どうやって責任を取り、次に進むかを一緒に考えるための記事です。
これは、たくさん人を傷つけてきて、うまく謝れなくて悩んでいる、
今を生きている私自身のための記事でもあります。
完璧な人なんていない
完璧な人なんていません。私たちは生きています。
だから、私たちは謝り方を知っておく必要があります。
日常の中で、差別やハラスメントに一度も加担したことがない人なんているでしょうか。
少なくとも、わたしは、差別に加担してしまったことがあります。いっぱいあります。
世界にはさまざまな差別があります。
・性差別
・人種差別
・障害差別
・セクシュアリティに関する差別
・宗教差別
・年齢差別
・見た目に関する差別
など、まだまだ、数えきれないほどあります。
完全に把握して、絶対に加担しないで生きるというのは、現実的にはとても難しいことです。
ある問題について一生懸命考えている人でも、別の問題では差別に加担してしまうことがあります。
もっと言えば、その分野を毎日毎日真剣に研究している専門家ですら、その分野に関する差別的な発言をしてしまうことがあります。
そしてもう一つ大事なことがあります。
当事者であっても、差別に加担してしまうことがあるということです。
社会の中には長いあいだ作られてきた偏見や価値観があります。
その中で生きている以上、誰もがその影響を受けます。
だから、女性が女性差別的な発言をしてしまうこともあります。
障害のある人が障害差別的な考え方をしてしまうこともあります。
マイノリティの人が、別のマイノリティに対して差別してしまうこともあります。
これは珍しいことではありません。
差別やハラスメントは、
悪意がなくても起きることが多いです。
ほとんどの差別やハラスメントは悪意から起きるわけではありません。
だからこそ、気づかないうちに誰かを傷つけてしまうことがあります。
大切なのは、間違えたあとにどうするかです。
指摘されたとき、
ショックを受けるのは「普通」
差別やハラスメントを指摘されたとき、多くの人はショックを受けます。
びっくりしたり、悲しくなったり、傷ついたり、怒りを感じたりすることもあります。
「そんなつもりじゃなかった」
「誤解ではないか」
「責められている気がする」
そんな気持ちになることもあると思います。
こうした反応は、珍しいことではありません。
人は誰でも、自分が誰かを傷つけたかもしれないと言われると、防御的になります。
でも、その気持ちがあることと、
これからどうするか考えることは別の話です。
ショックを受けてもいい。
落ち込んでもいい。
ちょっと休んでもいい。
でも、そのあとで
「自分の行動はどうだっただろう」
「これからできることはなんだろう」と考えることが大切です。
差別に加担してしまったら、
まず謝ろう
差別やハラスメントに加担してしまったときは、
素直に謝ることが大切です。
でも、謝るのってきついですよね。私は苦手です。
自分がしてしまったことなんて、忘れたい。
無かったことにしたい。
「そんなつもりじゃなかった」と思うこともある。
人から指摘されると、ショックを受けたり、防御したくなる気持ちが出てくることもあります。
でも一つ、最近になって私が学んだことがあります。
謝罪をしても、私自身の価値は下がらないということです。
人は誰でも間違えるものです。
謝ることは、その人の価値を下げる行為ではありません。
謝ることは、恥ずかしいことでもありません。
謝ることは、これからどう生きるかを示す行動でもあります。
「謝らされて可哀想」
という考え
誰かが差別について謝ると、
「謝らされて可哀想」
と言う人がいることがあります。
でも、これは少し違うと思います。
謝罪は罰ではありません。
責任を引き受ける行為です。
そして謝罪は、
「自分はこの暴力に加担しない側に立ちたい」
という意思表示でもあります。
謝ることは可哀想なことではありません。
むしろあなたを、社会を、少しよくする行動のひとつです。
マイクロアグレッション
日常の差別の多くは、
マイクロアグレッション(無自覚な差別的言動)です。
例えば、
・「日本語上手ですね」
・「女性なのにすごい」
・「見た目は普通だね」
など、本人は褒めているつもりでも、相手を傷つけてしまうことがあります。
悪意がなくても、人を傷つける言葉や行動は存在します。
だからこそ、
指摘されたときにどう対応するかがとても大事になります。
謝ることのメリット
謝罪には、こんな意味があります。
・被害者への二次加害を防ぐ
・自分の行動を見直すきっかけになる
・これからの自分の行動の指針を示すことができる
・被害者の傷を、少しでも軽くできる可能性がある
もちろん、
謝罪を受け入れるかどうかは被害者の自由です。
謝罪したからといって、必ず許してもらえるとは限りません。
でもそれでも、
「謝るか・謝らないか」で言えば、
基本的には謝る方がよいと考えていいと思います。
謝罪の鉄則
謝罪でいちばん大切なのは、
被害者をこれ以上傷つけないことです。
そのために大事なのが「謝罪は短い方がいい」ということです。
長い謝罪は、どうしても
・言い訳
・暴力の内容を事細かに説明する事情説明
・自己弁護
・自虐
が入りやすくなります。
そしてそれが、被害者をさらに傷つけることがあります。
特に、事細かな事情説明は、傷を蒸し返す可能性があります。
また、長い文章を読んだり、長い話を聞いたりするのが難しい人もいます。
インクルーシブなコミュニケーションのためにも、
謝罪はシンプルな方がよいと私は思います。
よくある「ダメな謝罪」
残念ながら、謝罪のつもりが逆に被害者を傷つけてしまう謝罪もよくあります。
ここでは、よくあるパターンをいくつか紹介します。
「そんなつもりはありませんでした」
これはとてもよくある言葉です。
でも、被害者にとって重要なのは、「意図」ではなく「何が起きたか」です。
悪意がなかったとしても、傷つくことはあります。
「そんなつもりはなかった」と言われると、「あなたの感じた傷は誤解です」と言われているように感じる人もいます。
「誤解を招いてしまい申し訳ありません」
一見丁寧に見える謝罪ですが、これもあまり良くありません。
この言い方だと、
「問題は私の発言ではなく、あなたの受け取り方です」
という意味に聞こえてしまうことがあります。
謝罪では、
相手の理解ではなく、自分の行動に責任を持つことが大切です。
「もし傷ついた人がいたなら謝ります」
これもよく見かける言い方です。
でも、この言い方には「本当に問題があったかはわからないけど」
というニュアンスが含まれてしまいます。
謝罪では、
仮定ではなく事実として責任を認めることが大切です。
謝罪フォーマットを
使うのはアリ?
ここからは、謝罪のフォーマット(型)を紹介します。
私がこれまで見聞きしてきた謝罪の中で、これはいいな、
と思ったものを思い返しながら自分なりに作ったものです。
謝罪のフォーマットを作ることについて、
「フォーマットに当てはめて書くなんて、本当に向き合っていないのでは?」
と思う人もいるかもしれません。
でも、わたしはフォーマットを使うのはありだと思います。
なぜなら、誰もが上手に言語化できるわけではないからです。
自分の考えや反省を言葉にするのが得意な人もいれば、苦手な人もいます。
ショックを受けているときや、動揺しているときは、なおさらうまく言葉が出てこないこともあります。
そんなとき、フォーマットは
最低限必要なことを伝えるための補助になります。
むしろ、フォーマットがないと、
・言い訳を書いてしまう
・長くなりすぎる
・何を言えばいいのかわからなくなる
ということも起きがちです。
フォーマットは、
被害者をこれ以上傷つけないためのガイドラインとして役に立ちます。
もちろん、フォーマットを使ったからといって、それだけで十分とは限りません。
大事なのは、そのあとに自分の行動を見直していくことです。
シンプルな謝罪フォーマット
① 自分の行為を認める
② 謝罪する
③ 指摘への感謝
④ 問題への自分の想い
⑤ 今後の行動
例:
私の○○での発言は、性差別にあたるものでした。
申し訳ございません。
ご指摘くださった方、ありがとうございました。
性差別はあってはならないものです。
今後は性差別に加担しないよう行動したいです。
謝罪に書かない方がいいこと
謝罪のとき、次のことは書かないほうがいいです。
・事情や背景
・「そんなつもりはなかった」
・「知らなかった」
・「意図はなかった」
・何が起きたかの詳細な説明
でも、どうしても書きたくなるときもあると思います。
事情や気持ちは、
個人的なノートや日記に書くのがおすすめです。
裏紙でもいいです。
自分の中で整理することは大切ですが、
それを被害者や他の人に読ませたり聞かせたりする必要はありません。
自分の防御反応を書き出すことで、気持ちが落ち着くこともあります。
それでも落ち着かない時は、公認心理師のカウンセラーなどを頼るのもいいかもしれません。(学生さんなら、学生相談室を頼るのも一つの手です。)
よくわからないときは、まず謝るくらいでいい
差別かどうかについては、はっきり線引きできないこともあります。
自分では差別のつもりがなかったとしても、
結果として差別的に聞こえてしまうことはあります。
そういうときは、
「私の言動について、差別ではなかったと断言することはできません」
と伝えることも一つの方法です。
これは、
「自分が絶対に差別をした」と認めるというより、
自分の言葉や行動が誰かを傷つけた可能性を受け止める
という姿勢です。
思っていないことを書く必要はありません。
少しでも
「差別的に聞こえたかもしれない」
「誰かを傷つけてしまったかもしれない」
と思ったなら、まず謝るくらいでいいと思います。
何度も言いますが、謝っても私たち自身の価値が下がることはありません。
謝罪は恥ずかしいことではありません。
当事者が「存在」を
謝らされるのは違う
ここまで「迷ったらまず謝る」という話を書いてきました。
でも、ここで一つ大事なことがあります。
当事者が、自分の存在について謝らされるのは違います。
例えば、
・障害があること
・セクシュアリティ
・国籍やルーツ
・ジェンダー
・生まれや身体
など、その人が生きていることそのものについて謝る必要はありません。
社会の中には、当事者に
「迷惑をかけてすみません」
「存在していてすみません」
と言わせてしまうような空気があることがあります。
でも、それは本来おかしいことです。
謝る必要があるのは、人を傷つける行動をしてしまったときです。
誰かが生きていること、存在していることは、謝る理由にはなりません。
周りの人は
どう振る舞えばいい?
誰かが差別を指摘され、謝罪する場面では、
周りの人の振る舞いもとても大切です。
よく起きるのが、
「そんなに責めなくてもいいじゃないか」
「謝らされて可哀想」
と、加害側をかばう反応です。
でも、このような言葉は、結果として
被害者をさらに傷つけてしまうことがあります。
周りの人がすることで大切なのは、
・被害を受けた人やその属性の人たちを尊重すること
・問題が起きたことを軽く扱わないこと
・謝罪を受け止めること
です。
謝罪を受け入れるかは被害者の自由
謝罪に関して、絶対に覚えておきたいことがあります。
それは、「謝罪を受け入れるかどうかは、被害者の自由だ」ということです。
被害者には謝罪を受け入れない権利があります。
謝罪したからといって、必ず許してもらえるとは限りません。
被害を受けた人は、
・傷が深いかもしれません
・距離を取りたいかもしれません
・関わりたくないと思うかもしれません
それは自然なことです。
謝罪は、
許してもらうための交渉ではありません。
自分の行動に責任を持つための行為です。
だから、謝罪をしたあとで相手が距離を取ったとしても、
それは尊重されるべき選択です。
大切なのは、
謝罪することと、許されることは別のこと
だと理解することです。
さいごに
差別やハラスメントに加担してしまうことは、誰にでも起こりえます。
研究者でも、当事者でも、アクティビストでも、差別に加担することはあります。
社会の中には長いあいだ作られてきた偏見や価値観があり、
私たちはその中で生きているからです。
だから大切なのは、
間違えたあとにどうするかです。
誰かを傷つけてしまったかもしれないと気づいたとき、
謝ることはとても大事です。
それは人生が終わるような大事件ではありません。
謝っても、あなたの存在は否定されません。
あなたの価値はなくなりません。
謝るとは、ただ、
「その行動はよくなかった」と認めて、
次から少し変えていく、ということです。
一人ひとりが少しずつ意識を変えて、
少しずつ行動を変えていく。
その積み重ねが、
社会を少しずつ良くしていくのだと思います。

