差別やハラスメントに加担してしまったときの謝り方【完璧な人なんていない】

I'm sorryと書かれている

読よむのにかかる時間じかん:約やく10分ぷん(個人差こじんさがあります)

この記事きじは、

・差別さべつやハラスメントを指摘してきされて、どうすればいいのかわからない人ひと
・自分じぶんの発言はつげんや行動こうどうが誰だれかを傷きずつけてしまったかもしれないと思おもっている人ひと
・差別さべつに加担かたんしてしまったときの対応たいおうを知しっておきたい人ひと

に向むけて書かいています。

責せめるための記事きじではありません。
どうやって責任せきにんを取とり、次つぎに進すすむかを一緒いっしょに考かんがえるための記事きじです。
これは、たくさん人ひとを傷きずつけてきて、うまく謝あやまれなくて悩なやんでいる、
今いまを生いきている私わたし自身じしんのための記事きじでもあります。

完璧かんぺきな人ひとなんていない

完璧かんぺきな人ひとなんていません。私わたしたちは生いきています。
だから、私わたしたちは謝あやまり方かたを知しっておく必要ひつようがあります。

日常にちじょうの中なかで、差別さべつやハラスメントに一度いちども加担かたんしたことがない人ひとなんているでしょうか。
少すくなくとも、わたしは、差別さべつに加担かたんしてしまったことがあります。いっぱいあります。

世界せかいにはさまざまな差別さべつがあります。
・性差別せいさべつ
・人種差別じんしゅさべつ
・障害差別しょうがいさべつ
・セクシュアリティに関かんする差別さべつ
・宗教差別しゅうきょうさべつ
・年齢差別ねんれいさべつ
・見みた目めに関かんする差別さべつ
など、まだまだ、数かぞえきれないほどあります。
完全かんぜんに把握はあくして、絶対ぜったいに加担かたんしないで生いきるというのは、現実的げんじつてきにはとても難むずかしいことです。
ある問題もんだいについて一生懸命いっしょうけんめい考かんがえている人ひとでも、別べつの問題もんだいでは差別さべつに加担かたんしてしまうことがあります。
もっと言いえば、その分野ぶんやを毎日まいにち毎日まいにち真剣しんけんに研究けんきゅうしている専門家せんもんかですら、その分野ぶんやに関かんする差別的さべつてきな発言はつげんをしてしまうことがあります。

そしてもう一ひとつ大事だいじなことがあります。
当事者とうじしゃであっても、差別さべつに加担かたんしてしまうことがあるということです。

社会しゃかいの中なかには長ながいあいだ作つくられてきた偏見へんけんや価値観かちかんがあります。
その中なかで生いきている以上いじょう、誰だれもがその影響えいきょうを受うけます。

だから、女性じょせいが女性差別じょせいさべつ的てきな発言はつげんをしてしまうこともあります。
障害しょうがいのある人ひとが障害差別しょうがいさべつ的てきな考かんがえ方かたをしてしまうこともあります。
マイノリティの人ひとが、別べつのマイノリティに対たいして差別さべつしてしまうこともあります。
これは珍めずらしいことではありません。

差別さべつやハラスメントは、
悪意あくいがなくても起おきることが多おおいです。
ほとんどの差別さべつやハラスメントは悪意あくいから起おきるわけではありません。

だからこそ、気きづかないうちに誰だれかを傷きずつけてしまうことがあります。
大切たいせつなのは、間違まちがえたあとにどうするかです。

指摘してきされたとき、
ショックを受うけるのは「普通ふつう」

差別さべつやハラスメントを指摘してきされたとき、多おおくの人ひとはショックを受うけます。
びっくりしたり、悲かなしくなったり、傷きずついたり、怒いかりを感かんじたりすることもあります。

「そんなつもりじゃなかった」
「誤解ごかいではないか」
「責せめられている気きがする」

そんな気持きもちになることもあると思おもいます。
こうした反応はんのうは、珍めずらしいことではありません。

人ひとは誰だれでも、自分じぶんが誰だれかを傷きずつけたかもしれないと言いわれると、防御的ぼうぎょてきになります。

でも、その気持きもちがあることと、
これからどうするか考かんがえることは別べつの話はなしです。

ショックを受うけてもいい。
落おち込こんでもいい。
ちょっと休やすんでもいい。

でも、そのあとで
「自分じぶんの行動こうどうはどうだっただろう」
「これからできることはなんだろう」と考かんがえることが大切たいせつです。

差別さべつに加担かたんしてしまったら、
まず謝あやまろう

差別さべつやハラスメントに加担かたんしてしまったときは、
素直すなおに謝あやまることが大切たいせつです。

でも、謝あやまるのってきついですよね。私わたしは苦手にがてです。

自分じぶんがしてしまったことなんて、忘わすれたい。
無なかったことにしたい。
「そんなつもりじゃなかった」と思おもうこともある。

人ひとから指摘してきされると、ショックを受うけたり、防御ぼうぎょしたくなる気持きもちが出でてくることもあります。

でも一ひとつ、最近さいきんになって私わたしが学まなんだことがあります。
謝罪しゃざいをしても、私わたし自身じしんの価値かちは下さがらないということです。

人ひとは誰だれでも間違まちがえるものです。
謝あやまることは、その人ひとの価値かちを下さげる行為こういではありません。
謝あやまることは、恥はずかしいことでもありません。
謝あやまることは、これからどう生いきるかを示しめす行動こうどうでもあります。

「謝あやまらされて可哀想かわいそう」
という考かんがえ

誰だれかが差別さべつについて謝あやまると、
「謝あやまらされて可哀想かわいそう」
と言いう人ひとがいることがあります。

でも、これは少すこし違ちがうと思おもいます。
謝罪しゃざいは罰ばつではありません。
責任せきにんを引ひき受うける行為こういです。

そして謝罪しゃざいは、
「自分じぶんはこの暴力ぼうりょくに加担かたんしない側がわに立たちたい」
という意思表示いしひょうじ
でもあります。

謝あやまることは可哀想かわいそうなことではありません。
むしろあなたを、社会しゃかいを、少すこしよくする行動こうどうのひとつです。

マイクロアグレッション

日常にちじょうの差別さべつの多おおくは、
マイクロアグレッション(無自覚むじかくな差別的さべつてき言動げんどう)です。
例たとえば、
・「日本語にほんご上手じょうずですね」
・「女性じょせいなのにすごい」
・「見みた目めは普通ふつうだね」
など、本人ほんにんは褒ほめているつもりでも、相手あいてを傷きずつけてしまうことがあります。
悪意あくいがなくても、人ひとを傷きずつける言葉ことばや行動こうどうは存在そんざいします。
だからこそ、
指摘してきされたときにどう対応たいおうするかがとても大事だいじになります。

謝あやまることのメリット

謝罪しゃざいには、こんな意味いみがあります。

・被害者ひがいしゃへの二次加害にじかがいを防ふせぐ
・自分じぶんの行動こうどうを見直みなおすきっかけになる
・これからの自分じぶんの行動こうどうの指針ししんを示しめすことができる
・被害者ひがいしゃの傷きずを、少すこしでも軽かるくできる可能性かのうせいがある

もちろん、
謝罪しゃざいを受うけ入いれるかどうかは被害者ひがいしゃの自由じゆうです。
謝罪しゃざいしたからといって、必かならず許ゆるしてもらえるとは限かぎりません。

でもそれでも、
「謝あやまるか・謝あやまらないか」で言いえば、
基本的きほんてきには謝あやまる方ほうがよいと考かんがえていいと思おもいます。

謝罪しゃざいの鉄則てっそく

謝罪しゃざいでいちばん大切たいせつなのは、
被害者ひがいしゃをこれ以上いじょう傷きずつけないことです。

そのために大事だいじなのが「謝罪しゃざいは短みじかい方ほうがいい」ということです。

長ながい謝罪しゃざいは、どうしても
・言いい訳わけ
・暴力ぼうりょくの内容ないようを事細ことこまかに説明せつめいする事情説明じじょうせつめい
・自己弁護じこべんご
・自虐じぎゃく
が入はいりやすくなります。

そしてそれが、被害者ひがいしゃをさらに傷きずつけることがあります。
特とくに、事細ことこまかな事情説明じじょうせつめいは、傷きずを蒸むし返かえす可能性かのうせいがあります。

また、長ながい文章ぶんしょうを読よんだり、長ながい話はなしを聞きいたりするのが難むずかしい人ひともいます。
インクルーシブなコミュニケーションのためにも、
謝罪しゃざいはシンプルな方ほうがよいと私わたしは思おもいます。

よくある「ダメな謝罪しゃざい」

残念ざんねんながら、謝罪しゃざいのつもりが逆ぎゃくに被害者ひがいしゃを傷きずつけてしまう謝罪しゃざいもよくあります。
ここでは、よくあるパターンをいくつか紹介しょうかいします。

「そんなつもりはありませんでした」

これはとてもよくある言葉ことばです。
でも、被害者ひがいしゃにとって重要じゅうようなのは、「意図いと」ではなく「何なにが起おきたか」です。
悪意あくいがなかったとしても、傷きずつくことはあります。
「そんなつもりはなかった」と言いわれると、「あなたの感かんじた傷きずは誤解ごかいです」と言いわれているように感かんじる人ひともいます。

「誤解ごかいを招まねいてしまい申もうし訳わけありません」

一見いっけん丁寧ていねいに見みえる謝罪しゃざいですが、これもあまり良よくありません。
この言いい方かただと、
「問題もんだいは私わたしの発言はつげんではなく、あなたの受うけ取とり方かたです」
という意味いみに聞きこえてしまうことがあります。
謝罪しゃざいでは、
相手あいての理解りかいではなく、自分じぶんの行動こうどうに責任せきにんを持もつことが大切たいせつです。

「もし傷きずついた人ひとがいたなら謝あやまります」

これもよく見みかける言いい方かたです。
でも、この言いい方かたには「本当ほんとうに問題もんだいがあったかはわからないけど」
というニュアンスが含ふくまれてしまいます。
謝罪しゃざいでは、
仮定かていではなく事実じじつとして責任せきにんを認みとめることが大切たいせつです。

謝罪しゃざいフォーマットを
使つかうのはアリ?

ここからは、謝罪しゃざいのフォーマット(型かた)を紹介しょうかいします。
私わたしがこれまで見聞みききしてきた謝罪しゃざいの中なかで、これはいいな、
と思おもったものを思おもい返かえしながら自分じぶんなりに作つくったものです。
謝罪しゃざいのフォーマットを作つくることについて、
「フォーマットに当あてはめて書かくなんて、本当ほんとうに向むき合あっていないのでは?」
と思おもう人ひともいるかもしれません。

でも、わたしはフォーマットを使つかうのはありだと思おもいます。

なぜなら、誰だれもが上手じょうずに言語化げんごかできるわけではないからです。
自分じぶんの考かんがえや反省はんせいを言葉ことばにするのが得意とくいな人ひともいれば、苦手にがてな人ひともいます。
ショックを受うけているときや、動揺どうようしているときは、なおさらうまく言葉ことばが出でてこないこともあります。

そんなとき、フォーマットは
最低限必要さいていげんひつようなことを伝つたえるための補助ほじょになります。
むしろ、フォーマットがないと、

・言いい訳わけを書かいてしまう
・長ながくなりすぎる
・何なにを言いえばいいのかわからなくなる

ということも起おきがちです。

フォーマットは、
被害者ひがいしゃをこれ以上いじょう傷きずつけないためのガイドラインとして役やくに立たちます。

もちろん、フォーマットを使つかったからといって、それだけで十分じゅうぶんとは限かぎりません。
大事だいじなのは、そのあとに自分じぶんの行動こうどうを見直みなおしていくことです。

シンプルな謝罪しゃざいフォーマット

① 自分じぶんの行為こういを認みとめる
② 謝罪しゃざいする
③ 指摘してきへの感謝かんしゃ
④ 問題もんだいへの自分じぶんの想おもい
⑤ 今後こんごの行動こうどう

例れい:
私わたしの○○での発言はつげんは、性差別せいさべつにあたるものでした。
申もうし訳わけございません。
ご指摘してきくださった方かた、ありがとうございました。
性差別せいさべつはあってはならないものです。
今後こんごは性差別せいさべつに加担かたんしないよう行動こうどうしたいです。

謝罪しゃざいに書かかない方ほうがいいこと

謝罪しゃざいのとき、次つぎのことは書かかないほうがいいです。
・事情じじょうや背景はいけい
・「そんなつもりはなかった」
・「知しらなかった」
・「意図いとはなかった」
・何なにが起おきたかの詳細しょうさいな説明せつめい

でも、どうしても書かきたくなるときもあると思おもいます。
事情じじょうや気持きもちは、
個人的こじんてきなノートや日記にっきに書かくのがおすすめです。
裏紙うらがみでもいいです。
自分じぶんの中なかで整理せいりすることは大切たいせつですが、
それを被害者ひがいしゃや他ほかの人ひとに読よませたり聞きかせたりする必要ひつようはありません。
自分じぶんの防御反応ぼうぎょはんのうを書かき出だすことで、気持きもちが落おち着つくこともあります。
それでも落おち着つかない時ときは、公認心理師こうにんしんりしのカウンセラーなどを頼たよるのもいいかもしれません。(学生がくせいさんなら、学生相談室がくせいそうだんしつを頼たよるのも一ひとつの手てです。)

よくわからないときは、まず謝あやまるくらいでいい

差別さべつかどうかについては、はっきり線引せんびきできないこともあります。
自分じぶんでは差別さべつのつもりがなかったとしても、
結果けっかとして差別的さべつてきに聞きこえてしまうことはあります。
そういうときは、
「私わたしの言動げんどうについて、差別さべつではなかったと断言だんげんすることはできません」
と伝つたえることも一ひとつの方法ほうほうです。
これは、
「自分じぶんが絶対ぜったいに差別さべつをした」と認みとめるというより、
自分じぶんの言葉ことばや行動こうどうが誰だれかを傷きずつけた可能性かのうせいを受うけ止とめる
という姿勢しせいです。
思おもっていないことを書かく必要ひつようはありません。

少すこしでも
「差別的さべつてきに聞きこえたかもしれない」
「誰だれかを傷きずつけてしまったかもしれない」
と思おもったなら、まず謝あやまるくらいでいいと思おもいます。

何度なんども言いいますが、謝あやまっても私わたしたち自身じしんの価値かちが下さがることはありません。
謝罪しゃざいは恥はずかしいことではありません。

当事者とうじしゃが「存在そんざい」を
謝あやまらされるのは違ちがう

ここまで「迷まよったらまず謝あやまる」という話はなしを書かいてきました。
でも、ここで一ひとつ大事だいじなことがあります。
当事者とうじしゃが、自分じぶんの存在そんざいについて謝あやまらされるのは違ちがいます。

例たとえば、
・障害しょうがいがあること
・セクシュアリティ
・国籍こくせきやルーツ
・ジェンダー
・生うまれや身体しんたい
など、その人ひとが生いきていることそのものについて謝あやまる必要ひつようはありません。

社会しゃかいの中なかには、当事者とうじしゃに
「迷惑めいわくをかけてすみません」
「存在そんざいしていてすみません」
と言いわせてしまうような空気くうきがあることがあります。
でも、それは本来ほんらいおかしいことです。

謝あやまる必要ひつようがあるのは、人ひとを傷きずつける行動こうどうをしてしまったときです。

誰だれかが生いきていること、存在そんざいしていることは、謝あやまる理由りゆうにはなりません。

周まわりの人ひとは
どう振ふる舞まえばいい?

誰だれかが差別さべつを指摘してきされ、謝罪しゃざいする場面ばめんでは、
周まわりの人ひとの振ふる舞まいもとても大切たいせつです。
よく起おきるのが、
「そんなに責せめなくてもいいじゃないか」
「謝あやまらされて可哀想かわいそう」
と、加害側かがいがわをかばう反応はんのうです。

でも、このような言葉ことばは、結果けっかとして
被害者ひがいしゃをさらに傷きずつけてしまうことがあります。

周まわりの人ひとがすることで大切たいせつなのは、
・被害ひがいを受うけた人ひとやその属性ぞくせいの人ひとたちを尊重そんちょうすること
・問題もんだいが起おきたことを軽かるく扱あつかわないこと
・謝罪しゃざいを受うけ止とめること
です。

謝罪しゃざいを受うけ入いれるかは被害者ひがいしゃの自由じゆう

謝罪しゃざいに関かんして、絶対ぜったいに覚おぼえておきたいことがあります。

それは、「謝罪しゃざいを受うけ入いれるかどうかは、被害者ひがいしゃの自由じゆうだ」ということです。

被害者ひがいしゃには謝罪しゃざいを受うけ入いれない権利けんりがあります。
謝罪しゃざいしたからといって、必かならず許ゆるしてもらえるとは限かぎりません。
被害ひがいを受うけた人ひとは、
・傷きずが深ふかいかもしれません
・距離きょりを取とりたいかもしれません
・関かかわりたくないと思おもうかもしれません
それは自然しぜんなことです。
謝罪しゃざいは、
許ゆるしてもらうための交渉こうしょうではありません。

自分じぶんの行動こうどうに責任せきにんを持もつための行為こういです。

だから、謝罪しゃざいをしたあとで相手あいてが距離きょりを取とったとしても、
それは尊重そんちょうされるべき選択せんたくです。
大切たいせつなのは、
謝罪しゃざいすることと、許ゆるされることは別べつのこと
だと理解りかいすることです。

さいごに

差別さべつやハラスメントに加担かたんしてしまうことは、誰だれにでも起おこりえます。
研究者けんきゅうしゃでも、当事者とうじしゃでも、アクティビストでも、差別さべつに加担かたんすることはあります。

社会しゃかいの中なかには長ながいあいだ作つくられてきた偏見へんけんや価値観かちかんがあり、
私わたしたちはその中なかで生いきているからです。

だから大切たいせつなのは、
間違まちがえたあとにどうするかです。

誰だれかを傷きずつけてしまったかもしれないと気きづいたとき、
謝あやまることはとても大事だいじです。

それは人生じんせいが終おわるような大事件だいじけんではありません。

謝あやまっても、あなたの存在そんざいは否定ひていされません。
あなたの価値かちはなくなりません。

謝あやまるとは、ただ、
「その行動こうどうはよくなかった」と認みとめて、
次つぎから少すこし変かえていく、ということです。

一人ひとりひとりが少すこしずつ意識いしきを変かえて、
少すこしずつ行動こうどうを変かえていく。

その積つみ重かさねが、
社会しゃかいを少すこしずつ良よくしていくのだと思おもいます。

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